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コロナウイルスの影響で、卒業式簡略化、それにより本来読むはずだった答辞を削り、その削った文意に合うように表現を修正しました。(元々が非常に長すぎでした。修正してくださった先生方ありがとうございました。)ただ、やはり全て、自分で考えた言葉で述べたいのと、あまりにも当日やむを得ず来れない方が多かったので、ここに本来読むはずだった修正なしの答辞をあげたいと思います。呼んでくださると嬉しいです。 答辞例年より暖かな冬も終わりを迎え、気づかぬうちに春の空気がやってまいりました。本日は
みなさんこんにちは😊 2020年3月に島根県立津和野高校を卒業しました、寺田多恵です。(ちなみに出身は埼玉です!) 今回はこの場をお借りして、私が高校3年間で『 スゴい!』と感じたことについて書かせていただきます!✍ それでは早速……!! 《 津和野町 》のココがスゴい! まずは《 津和野町 》のスゴい所についてです! 津和野町のスゴい所と言えばやっぱり自然🌳 四方を山に囲まれ、川と空気は澄み渡り、星空はとても綺麗です!( 私の地元とは大違い😅 ) ちなみに上の写真
こんにちは。この3月に、島根県立隠岐島前高校を卒業した山口結衣と申します。ちょうど3年前の今頃、私は「島留学生」として、地元である岡山県倉敷市から島根県・隠岐諸島にある中ノ島(海士町)へやってきました。 3年間を振り返るにあたり私が送った高校3年間は、沸騰しすぎた味噌汁以上に濃いものでした。また、私は昨日の朝食も覚えてるのがやっとです。そのため、3年間の出来事を感情ごと思い出し、整理することがとても難しくありました。そんなときに役立ったのが「記録」です。私の尊敬する人は「記
こんにちは。2020年3月に島根県の津和野高校(以下、ツコウ)を卒業した政田智秋(まさだもとき)といいます。ここでは、僕が津和野で過ごした三年間を紹介させていただきます。 本文は、「入学までの経緯」「入学後の生活」「部活動」「生徒会活動」「学習・大学受験」について、山口県から津和野へ「留学」した僕の経験を書かせていただきます。 大変な長文になってしまいましたが、最後まで読んでいただけると幸いです。 「勉強だけの三年はいやだ!」自分が中学生だった頃のことを、少し話させてもら
小学校3年生瑞歩は、当時通っていた小学校の図書室で「ニッポンの嵐」という本を読み、隠岐島前高校の取り組みや、観光甲子園でグランプリを受賞した「ヒトツナギ」という旅について知った。瑞歩は、嵐の松本さんの大ファンである。そんな彼が、高校の位置する海士町を訪れ、温かく出迎える地域住民の方々との濃密な経験をされたことを知った時の驚きと言ったら、今後も忘れることはないだろう。 私の人生のターニングポイントには松本さんがしっかりと立っていて、私と隠岐島前地域を繋ぐきっかけを与えてくれ
はじめに ▸自己紹介こんにちは。奈良県出身の渡邉葉奈(18)です。 今日は、私が過ごしたあまりにも濃すぎる高校流学生活を紹介します! きっと書けば止まらなくなるので、頑張って3項目に絞りました(笑) 始まりは高校受験期でした。地元で行きたい高校も特になく、勉強に身が入らない毎日。そんなある日、テレビで隠岐島前高校の存在を知った私は、突然必死になって島前高校のことを調べ始めました。惹かれた理由はただ一つ「楽しそうだったから」。自然に囲まれて寮生活をする高校生がなんとも魅力的に
初めまして。 2020年3月に島根県立隠岐島前高校を卒業しました、荒巻響です。 大阪という生まれ育った場所を離れ、縁もなく聞いたこともない島に行き、3年間を過ごしました。 今だから言葉にできるかもしれない、そんな私の3年間をここに綴ります 大阪から島根の離島、隠岐の島へ 生まれも育ちも大阪です。 中3の10月までは、もちろん地元の高校に進学する予定でした。 志望高は自分の成績で行ける範囲の学校を選び、その中でも過ごしやすそうな学校を選びました。 何故そこに行くのかと聞かれれ
はじめに先日、三年間続いた離島留学を終了しました。 入学した頃、卒業するのはずっと先だと思っていましたが、三年間というのはあっという間に過ぎてしまうものです。今、三年間何があったかな、と思い出そうとしても色々あり過ぎて忘れていることが多いです。ですが、この久米島での三年間の学びは、しっかり僕の血や骨に染みついています。三年間で僕が学んだこと、僕の身体に聴きながら、丁寧に書き下ろしたいと思います。 (久米島、奥武島にて) ここではない、どこかへ 久米島に最初に行った時の衝