「流学生活 in 海士町」
はじめに
▸自己紹介
こんにちは。奈良県出身の渡邉葉奈(18)です。
今日は、私が過ごしたあまりにも濃すぎる高校流学生活を紹介します!
きっと書けば止まらなくなるので、頑張って3項目に絞りました(笑)
始まりは高校受験期でした。地元で行きたい高校も特になく、勉強に身が入らない毎日。そんなある日、テレビで隠岐島前高校の存在を知った私は、突然必死になって島前高校のことを調べ始めました。惹かれた理由はただ一つ「楽しそうだったから」。自然に囲まれて寮生活をする高校生がなんとも魅力的に感じたのです。親とも何度も話し合いをし、挑戦することに。
無事合格した私は15歳で親元を離れ、島根県立隠岐島前高校へ入学しました。
▸隠岐郡海士町とは
隠岐島前高校は隠岐郡海士町にあります。島根県沖に位置する隠岐の島。全部で4つある島は島前地域と島後地域に分けられています。島前地域は3つの島で構成され、そのうちの1つが中ノ島、海士町です。もともと島前高校は生徒数の減少により存続の危機にありました。どうにか島に高校を残したという思いから、人々が尽力し、島留学という制度が始まりました。今現在も全国から集まった生徒が島内生と高校生活を送っています。キャッチフレーズは「ないものはない」。大人から子どもまで、活気にあふれた島です。
(海士町の熱いお話は、本やYouTubeで詳しく紹介されているので是非ご覧ください‼)
https://www.iwanami.co.jp/book/b262945.html
1 地域活動
寮生活に慣れてきた頃から、先輩に誘われて多くの1年生が地域へ出るようになります。自主的に地域へ出続けていると、地域に知り合いの方が増え、様々な行事や交流に参加するようになります。私は第一次産業の仕事をされている方のところへよくお手伝いに行っていました。
▸漁業
寮からバスで30分、歩くと1時間半以上はかかる場所に、多いときは毎週、少なくても月に1度は漁師であるYさん一家のお手伝いに行っていました。「いままで学校の先生以外の地域の方と交流したことなんてないんだけど!!緊張!!」ということで、最初の頃は、迷惑をかけてはいけない、力になりたい一心で必死にお手伝いをしていました。もともと体を動かす仕事が好きで、初めて経験する作業。何回か通ううちに、Yさん一家や漁師さんと話をするようになり、ご飯をご馳走していただいたり、地域のソフトボール大会に一緒に参加したりするようになりました。Yさん一家は、私にとって居心地の良い、大好きな場所です。
▸畜産業
海士町には、島の特産品である隠岐牛を育てて出荷している「潮風ファーム」という会社があります。学校行事である島内インターンシップの際、私はその会社で1週間働きました。インターンシップの後もファームでお手伝いをしたかった私は、休みの日に一度だけ行くことにしました。しかし、そこは遊び場でも体験施設でもない、仕事の場です。もしファームの方々の重荷になるようであればこれからお手伝いに行くのはやめようと思っていました。ですが、ファームの方々はとても優しく楽しく迎えてくださり、「今日ちょうど手が欲しかったんよ~」と言って様々な仕事を手伝わせて頂きました。エサやり、出荷する牛のお手入れ(これめっちゃ大変なんですよ!!一頭一頭手作業でやります)、人工授精、牛小屋の土を新しくする作業、それからファームの方の人生の話を聞いたり、牛に関する知識をを教わったり、出産の現場に立ち会ったり、病気の牛を安楽死させるところや仔牛が亡くなるところも見ました。
ファームでの体験は、遊びではない、仕事の現場を直に感じたものでした。大人の真剣な姿やアクシデント時の緊迫感に圧倒され、何も言えずにただ見ているだけの時もありました。仕事の現場に高校生を置き、本来なら必要のない「高校生の面倒を見る」ということをして頂けるのは決して当たり前ではないのです。ファームの方々にはとても感謝しています。とても良い経験をさせて頂きました。
2 鏡浦寮
島外から入学した生徒は、女子は鏡浦寮(けいほりょう)、男子は三燈寮(さんとうりょう)で暮らします。どちらも自治寮で、生徒主体となりハウスマスターや先生と協力しながら寮運営をしています。高校生活=寮生活と言ってもいいほどその存在は大きく、また私を成長させてくれた場所でもあります。
▸寮生活
鏡浦寮では約50人、三燈寮では約30人の生徒が共に生活しています。洗濯や部屋の掃除など自分のことは自分でしています。そして島前高校の寮はただ暮らすだけでなく、お互いを高めあえる環境があります。お祭りで出店したり、綱引き大会に参加したり、寮内で色んなプロジェクトをしたりしています。島外からは、高校の卒業生やバリバリ活躍している社会人が講演に来てくださいます。(かなり刺激的な方ばかりで、それを無料で聞けるなんて…超絶ありがたい環境でした)
▸寮運営
私は1年生の最初の頃、四天王と呼ばれる4人グループの一人でした。四天王と呼ばれる理由は、うるさくてはしゃぎすぎてうるさいから。たくさんの方に迷惑をかける、幼稚な人でした。しかし先輩やハウスマスターに厳しい言葉をもらい、自立した先輩や同級生の姿を見ているうちに、自分が恥ずかしくなっていきました。それからは、先輩のプロジェクトに参加したり、ハウスマスターと話をしに行ったり、自分なりに自分を変えられるように頑張りました。そうするうちに、「寮」を良くすることに意識が向いていきました。
2年生になり、私は副寮長として寮運営を始めました。寮長と副寮長2人が主となり、寮内で動いているプロジェクトと連携したり、新たな活動を始めたり、考えては行動し振り返っては反省しの繰り返しでした。私たちは大きな変革ではなく、小さな当たり前をできるような寮を目指していました。そこで毎日することであり、面倒くさいことでもある掃除を利用して、寮生にはたらきかけました。一年間で寮は見違えるほど綺麗になりました。寮も綺麗になり、寮生も少しずつ変わっていくのが分かりました。もちろん自分も大きく変わりました。3人での活動を通して、1日坊主だった自分が何かを続けることができるようになったのです。自我が強く、主張を曲げなかった自分が、人の話に耳を傾け全員の納得解を生み出すことを意識するようになりました。自分を見つめ、悪いところも認められるようになりました。
鏡浦寮での生活は、私の生活や考え方や性格を大きく変えてくれました。
(ついでに書くと、私の学年女子19人はとっっっっても仲が良く、卒業してもZOOMでオンライン同窓会したりしてます。私に居場所をくれた大好きな大好きなメンバーです)
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3 学校生活
▸島前高校の先生方
島前高校の先生方は生徒に負けないくらい個性的です。公立高校とは思えないような授業をする先生もいます。島前高校の魅力は、生徒数が少ないおかげで先生との距離が近いことです。3年間でたくさんの先生と深い話をし、時には怒られ、時には一緒にふざけて、たくさん刺激をもらいました。大人は私たちよりも長く生きています。理不尽だとかえらっそうで嫌いだと思う大人もいるかも知れませんが、大人から学ぶことは必ずあるのだということを実感しました。島前高校の先生にはいつも支えられ、私のすることを応援していただきました。
▸行事
島前高校の行事は熱いです。とにかく熱いです。私の高校生活で一番大きな思い出は3年の時の学園祭でした。体育祭は3色対抗で戦います。競技の部、応援パフォーマンスの部、衣装の部、デコレーションの部のそれぞれの部門で競います。何週間もかけて準備します。色ごとに協力して時間と心をかけて創りあげた体育祭はまさに青春でした。その年の学園祭のテーマは「輝き方改革」。ひとりひとり全員が自分のできる場所で輝ける学園祭でした。高校生らしいキラキラした時間でした。今書きながら泣きそうになってます(笑)
▸部活
私はヒトツナギ部と女子バレーボール部を兼部していました。ヒトツナギ部ではヒトツナギの旅をメインに活動し、地域のかたとの交流を大切にしながら、一から生徒で島前での旅を企画し、実行しました。計画の立て方、立てた計画の甘さ、動き方の順番、物事の優先順位の決め方など、企画実行のすべてを学びました。
バレー部には途中から入部しましたが、メンバーはそんな私を受け入れてくれました。顧問やコーチに先導されるのではなく、全員で目標を立て、練習メニューを考え、実行し、改善するという部活をしていました。チームスポーツをすること、辛さや逃げたい気持ちと戦うことを通して、言葉では表せないような、人として大切な強さを得たような気がします。
さいごに
▸私の変化と進路
私は島前高校での生活を通して、学んだもの得たものがたくさんあります。自分では大きく成長したと思っていますが、きっとまだまだ、まだまだなんだと思います。私は教育学部ソーシャルワークコースに進学し、教育×福祉を学んでいます。将来は、身体障害や知的障害を抱えている人の支援をしたり、貧困虐待の環境下にある子どもが安心した生活を送れるように支援できたらと考えています。
さいごに、私は自分の高校生活が最高に楽しかったものだと自信を持って言えます。家族、地域の方、先生、先輩、同級生、後輩とたくさんの方の応援を受けて私は充実した高校生活を送ることができました。ありがとうございました。
最後まで読んでくださりありがとうございました。私の話から少しでもワクワクが伝わっていたら嬉しいです。
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