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「縁結びの国」島根で素敵なご縁に恵まれて(島根県立津和野高校/政田智秋)

こんにちは。2020年3月に島根県の津和野高校(以下、ツコウ)を卒業した政田智秋(まさだもとき)といいます。ここでは、僕が津和野で過ごした三年間を紹介させていただきます。

本文は、「入学までの経緯」「入学後の生活」「部活動」「生徒会活動」「学習・大学受験」について、山口県から津和野へ「留学」した僕の経験を書かせていただきます。
大変な長文になってしまいましたが、最後まで読んでいただけると幸いです。

「勉強だけの三年はいやだ!」

自分が中学生だった頃のことを、少し話させてもらいます。
私立の学校に通っていたのですが、その学校は少し変わっていて、「体験学から学ぶ」ことを大切にしている学校でした。
机について先生の話を聞く、という授業はほとんどなく、田んぼを開拓したり、学校のある地域の歴史をインタビューなどの調査を通じてまとめたり。
そういった中で、身の回りの社会のことや、人々の知恵など様々なことを学んでいきました。
こういった、多くの学校では行われていないであろう教育を受けてきた自分にとって、公立の高校で行われている授業のかたちへの抵抗は大きく、進学は不安でした。
「勉強だけの三年はいやだ。授業以外の部分も充実した高校生活を送りたい。」そう思っていました。

ツコウ、おもしろそうじゃん

自分の一つ上の先輩が「しまね留学」で隠岐島前高校に進学をしたのをきっかけに、この制度を知りました。
そしてひょんなことから知った、ツコウのオープンスクールに行ってみることにしました。
それまでもいくつかオープンスクールに行ってはみたのですが、なんとなく部活で選んだ高校はどれも進学校ばかり。自分の中では、違和感を感じずにはいられませんでした。

ツコウのオープンスクールは一転、アットホーム感満載で、手作りの岡崎体育風「SCHOOL VIDEO」はとても記憶に残っています。
そしてなにより、当時の校長先生のお話はとても印象的で、

「ツコウはみなさんの”やりたい”を全力で応援します」


という言葉に完全にハートを持っていかれました。
学校の教育目標の一つである「グローカル人材」という考え方にも自分の中でリンクを感じ、「ここなら楽しい高校生活を送れるはずだ」と、志望することに決めました。

ここまでが、僕がツコウに入学するまでのお話です。

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はじめまして、津和野。

最初は不安と寂しさで押しつぶされそうでした。
知った人がいない、というのが一番の原因です。

だから僕は、まずたくさん町に出てみました。

同じく県外から来ている寮生と、自転車をこいで川に行ってみました。
コーディネーターの方が「今度こんなイベントあるから行ってみない?」と誘ってくださった時には進んで参加してみました。
太皷谷稲成神社の御田植祭には2回ほど参加させていただきました。

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これは個人の趣味ですが、週末になるとSLがやってくるので毎週のように撮影に出かけもしました。

こうして出かけていくうちに、不思議なもんで、だんだん町内の大人の人たちと知り合いになって行きました。
「厨ファミリア」という場所にはよく通いました。
毎週日曜日には「Ohayo Cafe」が開かれ、津和野の食材を使った朝食を食べながら、そこにやってくる大人の人たちと話をしたりもしました。
そこで知り合った方が、「行きたいっていってる場所、連れてってあげようか?」と声をかけてくださったりもしました。
イベントでモンゴルの方が来られた時には、少しだけギターを披露させていただきました。
そうすると、「こないだギター弾いてた人」として認識してもらい、そこからさらに人の輪が広がっていきました。

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(Ohayo Cafe 。ツコウ生と共に、たくさんの地域の方に囲まれて。)

こんな風に、日常の中で、高校生と町の大人が繋がれる場所があるのは、津和野の一つの魅力だと思います。

吹奏楽との出会い

部活動についてです。
はじめは地域系部活動「グローカル・ラボ」に入るつもりでいたのですが、なにを迷ったか吹奏楽部に入部してしまいました、この人。

結果として、この選択が僕の高校生活を豊かにしたことは間違いありません。

ツコウの吹奏楽部は少人数で、決して強豪ではありません。
ですが、地域のイベントに出演させていただく機会も多く、また演奏にもたくさんの方々の協力をいただいています。
文化部合同公演「JAM」、つわの鯉・恋・来いまつり、安野光雅美術館ロビーコンサート、木部地区民体育大会、高齢者施設でのクリスマスコンサート…。

顧問副顧問の先生方はもちろんのこと、外部講師の先生、役場の方や地域おこし協力隊、芸術士®︎の方々、OB・OGのみなさんや毎年のように来てくださる大学生のみなさん。たくさんの方が一緒に演奏をしてくださいます。

演奏を聞いてくださった地域のみなさんが「ありがとう」「元気が出ました」と声をかけてくださいます。
会場に到着しただけでものすごく喜んでくださる人もいます。そんな方々を見ると、僕たち演奏する側もとても嬉しい気持ちになります。

支えてくださる全てのひとの暖かさ、ありがたさを感じずにはいられません。

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また、僕は合唱部ともたくさん関わらせてもらいました。
女子だけの合唱部に、男声として演奏にも参加しました。
この頃は僕としてはとても充実した毎日で、貴重な経験もたくさんさせてもらいました。
反面ほかの吹奏楽部員には不安にさせてしまったり、嫌な思いをさせてしまったりしたこともあったと反省しています。
それでも僕の活動を見守ってくれた仲間には感謝です。
こんなに軽いフットワークで色々な経験ができるのは少人数ならではだなぁとも感じます。

さまざまな活動をしていく中で、ひとや地域とのつながりというものを強く感じました。

政田、生徒会長やるってよ

これは僕の高校生活の中でかなり大きな部分だと感じています。

ツコウ創立110周年を迎える節目の年、2018年に生徒会長を務めさせていただきました。とてもありがたいことです。

前述のちょっと変わった私立学校に通っていた僕は、その学校の理念でもある「自由」についてあれこれ考えていました。
既存の型にはまる必要はないということは常に思っています。

生徒会などいろいろな面で、過去のやり方を踏襲していくうちに、現状にそぐわない、非効率な部分や窮屈な部分ができてしまっていることを、ツコウに入学して以来感じていました。
「やりたいことを全力で応援」してくれるツコウだからこそ、もっとよくしていける部分がある、新しい可能性を見出すことができる、そう思っていたのです。

ツコウ110周年の年は明治維新150周年の年でもありました。だから僕は一つのテーマとして、「維新」すなわち改革を掲げました。

一つ目の改革として提案したのは、生徒総会の改革です。

例年の生徒総会では、会計報告が総会の大半を占め、「野球部予算〇〇〇〇円、ソフトテニス部予算△△△△円、・・・」と全ての数字を読み上げ、予算案に賛同する場合は拍手を求めるなど、形骸化してしまっていました。
それならば校則の改定案だとか、普段の学校生活で困っていることだとか、せっかく生徒だけで話し合える場が設けられているのだから、そういったことを話し合うべきではないだろうか、というのが僕の考えでした。

結局、この改革は思っていた形での実現には至りませんでしたが、翌年以降の生徒総会に少し影響を与えることができたように思います。

二つ目の改革は、生徒会誌「たくご」の改革です。

毎年生徒会が発行している「たくご」ですが、過去十数年分を見ると、同じようなデザイン、内容で発行されていることがわかりました。
でも今年は創立110周年。今までにない「たくご」にしてみようじゃないか、と生徒会メンバーとともに一から計画を練りました。

出来上がった「たくご」は、これまでの形に囚われない、新しいあり方を提案することになったと感じています。

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(52号は伝統のデザイン。53号は僕の代で手掛けた「たくご」。53、54号共にカラーページ、たくさんの写真やイラストを採用。)

生徒会長という立場上、人前でしゃべったり、メディアの取材を受けたりする機会もありました。
そうして学校の内外で、町の内外で「ツコウの生徒会長」として認識してもらい、たくさんの方に親しんでもらえたと自分では勝手に思っています。
スーパーに出かけたとき、こちらは面識はなかったのですが「あら、誰かと思えば生徒会長じゃない!」と声をかけていただいたり…。
そうやって自分が「認識」されることで、自分が津和野町の一員であるということを感じさせられました。
これは「これからも津和野に関わっていきたい」という今の僕の想いにつながっています。

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受験生になる

学生の本分である「学習」についてです。
3年の9月はじめごろまでは部活動や学園祭などにエネルギーを注いでいました。(余談ですが、体育祭では分団長も務めさせていただきました)

すっかり受験モードに切り替わったのは10月になろうという頃だったと思います。

それまで一日何時間もの勉強をしたことがなかった自分にとって、受験期は大変辛いものでした。
自習といわれてもなにをすればいいやら分からず。
基礎はこれまでの積み重ねがありましたが、時間が経てば忘れていくこともあるわけで。

そんな僕にとって、同級生、HAN-KOH(以下、ハンコー)そして先生方の存在は大きいものでした。

自習は授業での演習をベースに進めていきました。
放課後の自習場所として、ハンコーは毎日通いました。
ハンコーの詳しい説明はここではしませんが、町営「英語塾」という名前ながら、各種教科の参考書も多数取り揃えており、iPadも自由に使用可。
周りには同じく大学受験や就職試験を控えた同級生たちが自習をしており、学習環境としては僕にとって最適でした。
スタッフの方々も時折声をかけてくださり、精神的に支えられました。
結局ハンコーには卒業式後まで通いました。

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(ハンコーの自習室。写真は部活時間帯なのでガラガラだが、もう少し遅い時間になると自習や個人の活動のため生徒がたくさんやってくる。)

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(卒業直後。これからについて語り合う。)

そして同級生。
自習の合間にたわいもない話をして息抜きをしたり、頑張っている姿を見せられて元気づけられたり。
いい仲間に出会えたことで、受験期を乗り切ることができました。

でもやっぱり一番お世話になったのは学校の先生方です。

ツコウの特徴として、少人数である代わりに各々が希望する進路が多様だということが挙げられます。
それゆえ、全ての生徒に満足がいくような授業を実施することはかなり難しいはずです。

しかし、逆にいえば、自分と同じ進路を希望する人が少ないから、先生に集中的に見てもらえます。

僕の場合、この点がとても受験期の助けになりました。
添削をお願いしては、休み時間や放課後に見てもらい、大学の二次試験直前までマンツーマンで対応してもらいました。
ツコウは進学校ではありませんが、希望すれば先生方はどこまでも親身になって対応してくださいます。

学習面以外でも、特に担任の先生は志望校決定や日常の学習での悩みの相談に乗ってくださり、精神面でかなり支えてくださいました。
規模の小さな学校ですから、やはり先生方は一人一人をきちんと見ているのだな、ということを実感しました。

たくさんの方に支えていただき、無事に希望の大学に合格することができました。

まとめ ツコウでの三年間を通じて

僕の高校生活を語る上で、鍵となるのは「ひととのつながり」です。
津和野で過ごしていく中で、自分の世界や考え方を広げてくれるような出会いがいくつもありました。(ここには到底書ききることはできません!)

卒業してからも思い出すのは、津和野で出会った「ひと」です。

近ごろ都会では「人と人のつながりが希薄になっている」とも言われます。地域みらい留学で地方での高校生活を送ることで、人と人がつながっているコミュニティの暖かさや、自分の知らなかった世界を知ることができるはずです。

ただ、大事なことは「結局は自分次第」ということです。

地域との関わりにしても、自分の進路のことにしても、自分が望んで動かなければなにも始まりません。これは忘れて欲しくないことです。

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ところで、僕はなにかプロジェクトを成し遂げたわけではありません。実際、そのことで悩み、焦った時期もあります。
「地域みらい留学」だから、なにか特別なことをしなきゃいけないんじゃないか、と不安になったこともあります。

今になって思うことは、自分の中に変化があったなら、もうじゅうぶん津和野に来た意味があっただろう、ということです。
今までになかった生活、世界をこの津和野で知ることができたなら、それだけですばらしいことじゃないか。(もちろん、自分なりのプロジェクトを見出して活動することはとてもすごいことです)

「地域みらい留学」をなにか特別なものだと思っている人がいるかもしれません。
誰もが経験できることではない、という意味では特別なものです。
しかしそれは決して、どこか遠い世界の話だとか、すごい人だけのものだ、ということではないと思っています。
高校生の僕はそこを少し勘違いしていた部分があったかもしれません。
十人十色、一人一人にそれぞれの「留学のカタチ」があります。

自分の世界を広げる一つの手段として、この「地域みらい留学」で一歩を踏み出す人が増えたら嬉しいなと思います。

最後に、高校生の僕を支えてくださった全ての皆さんに、この場をお借りして感謝の気持ちを伝えさせていただきます。

そして、最後までこの文章を読んでくださり、ありがとうございました。


2019年度 津和野高校卒業生 政田智秋

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