「世界中を家族で旅した自由人と語る”学校”と”子育て”の未来」開催レポート
これだ!と思うことを仕事にする生き方
高橋:今作家、本を書く仕事をしています。世界を旅して気に入った場所に宿やレストランをつくって、その場所が旅先ではなくて、また訪ねて行ける、友達がいっぱいいて楽しい場所になるように、世界中に「ボヘミアン」という名前のアジトを作ったり、インドとジャマイカのスラムで子どもたちがお金を払わなくても通える学校をつくったり、自分が生きててこれだ!と思ったものを仕事にしています。
子どもの頃、自然に身についたワクワクセンサー
高橋:父親が小学校の先生、母親が幼稚園の先生だったので、子どもの頃は ”大学に行かなかったら人生終わり”みたいな圧迫を感じていました。高校3年生まで夢もなくて、夢が見つけたくて色々探したりするんだけど、何をやっても中の上くらい。例えば、中学から「ビー・バップ・ハイスクール」という漫画を読んでヤンキーになったけど、昼はヤンキーだけどお袋に怒られるから夜は進研ゼミちゃんとやるみたいな、中途半端な悩み多き中高時代でした。
今の僕をつくっていることがあるとすれば、小6になるくらいまで食卓で家族揃って夜ご飯を食べるときに、お袋がいつも決まって1番最初に質問するのが「歩、今日楽しいことあった?いいことあった?」でした。だから、いつもご飯の前に必ず「楽しいことあったかな?いいことあったかな?」と考えていました。何かをしろと言う人ではなかったけど、夜ご飯のときに、楽しいことあった?って一言質問することで、ワクワクセンサー、楽しいことを探すセンサーができたのではないかなと思う。なのでうちの子にも同じ質問をするようにしています。そうすると自然に食卓が今日あった楽しいことに包まれる。それはお袋からもらったものだと思っています。
他にもこんなエピソードがあります。子どもの時、団地で近所の子たちと遊んでいると、野球とかが下手くそで、目立たないような子がいたのですが、お袋は「いじめちゃだめよ!」という言い方は絶対しなくて「どんな顔してた?」って聞くんです。「やべ、あいつ、つまんなさそうだったな」って思ったら、次の日にまた同じ質問をされても大丈夫なように、みんなが楽しめる場にできるように、横で盛り上げてみたりということがありました。今思うと、質問でうまくナビゲートされていたんだと思います。
大学を休学して経験した、流学生活
岩本:東京で生まれ育って家から最も近い、公立の小中高に通い、なんとなく大学には行くものだと思って、大学進学まではしました。大学に行ってようやく勉強から開放された気がしました。はじめて”自由”という気がしたのが大学でした。でも、大学に入って中途半端に楽しむ日々を送るうちに、「この人生で何したいのか?」ということを考えるようになりました。「今のままじゃいけないんじゃないか?」「何かを探したい」と思いから、海外に行けば自分の世界が広がって何かが変わるんじゃないかという安易な発想で、海外を流れながら色々な体験をしました。
岩本:行った先々で震災のボランティアをしたり、スラムで薬を配る活動に参加したりと1年を過ごす中で、「自分のたがが外れた」のが、原体験です。世界って面白いと思ったし、自分ってこんな風に日々変わっていけるんだというのを感じました。自分がパワーアップしていくような幸せ度、自分らしく生きていくという感覚を人生で初めてもてました。それが原点となって、そういったことを多くの若い人、学生たちに伝えたいと思って本を出版しました。
「地域みらい留学」自分で生きたい場所を選び、創っていくことが当たり前の世界をつくりたい
岩本:その後日本の企業に就職。ひょんなことから、日本海の海士町で学校の改革をしないか?と声をかけられ、それから9年くらい島で活動しました。その島での活動が「島留学」になり、この活動を海士町に限らず全国の各地域でできるようにと「地域みらい留学」を始めました。
地域みらい留学は、中学生、高校生が偏差値の枠や、自分が今いる場所の中からしか選択肢がないと思って進路を決める、ということを超えていく機会です。なんとなく高校、大学に行って企業に入るみたいな生き方ではない、自分で生きたい場所を選んで行く、創っていくことが当たり前になっているような若い人たちが育っていく、それを日本の当たり前にしていこうと、「地域みらい留学」を展開しています。
高橋:地域みらい留学というのを始めようと思った1番最初のきっかけは何だったんですか?
岩本:旅や越境を学びにつなげたい、越境的な学びを日本の教育システムの中の当たり前にしたい、と思ったのが1番の理由です。学生時代に旅を経験したこともあって、自分はわりと海外でもやっていけると思っていました。でも、初めて海士町に行ったときに、めちゃくちゃカルチャーショックを受けて、打ちのめされました。都会と地方って全然文化が違う、全然通用しないと、こてんぱんにされながら立ち向かう中で、自分が変化していく感覚がありました。そこで、今までは海外に行くことが大事だと思っていましたが、海外じゃなくてもいいという気づきがありました。
海士町で少子化が進んで、このままだと島唯一の学校が潰れてしまう、これをなんとかしたいという島の人の思いを聞いたときに、こんなに面白い地域があるんだったら、海士町を世界に開いたら面白いと思ってくる子たちがいるんじゃないか?と思いつきました。その時、「高校を立て直す」ということと「学びの価値を社会につくっていきたい」という思いが重なって、「島留学」というのを始めたのが原点です。それが12年前。
岩本:島で始めた活動が、島根に広がって「しまね留学」になり、そこから段々全国に展開していったのが「地域みらい留学」です。この数年の勢いがすごい。風向きが変わった感じがこの3、4年くらいです。
高橋:根っこのところは、やりたいところがすごく似ています。自分もハワイ島コナの大自然で住んでいるので、そこを本校に世界中でやってるお店を分校にして、「地球みらい留学」みたいなことを始めたいと思っているところなので、共感することが多いです。
岩本:「地域みらい留学」では、中学生、高校生対象に活動してきました。海外留学となると、経済力、治安、言語という壁がありますが、国内留学ならそういったハードルを下げられます。でも、その先には「地球みらい留学」という形で世界中から日本の地域に来てほしいし、地域から海外へみたいなこともしていきたいと思っています。世界をキャンパスとするなら、なぜ高校って1つしか行っちゃいけないのだろうか?旅しながら学んでもいいよね、というステージにつながっていく動きにしていきたいという思いがあります。
家族4人で世界一周
高橋:子育てをしている時、世の中が、知らない間に子どもたちの素敵なキラキラな頭に変な枠をはめてくるという感覚がありました。だから、どこかに導くというよりは、枠がかからないように、というのを意識していました。
例えば、小学校くらいのときに息子がレゴで遊んでいたのですが、つくりはじめたら、下を向いて暗くなってしまいました。どうしたのかと聞くと、「説明書通りに作れない」と言って落ち込んでしまったんですね。その時、「説明書通りにつくらないといけない」というバリアがかかってしまっていることに気づいて、説明書と箱を捨ててレゴだけにして、「好きにやれ!」といったら、きっらきらで、ものすごいものを創り出しました。知らないうちに子どもって社会に変なバリアをかけられているから、それを外すとことを意識していました。
子どもが2人いて、兄が4歳、妹が6歳までは沖縄で育てていました。子どもが4歳、6歳になった時が結婚10周年で、奥さんと「家族で世界一周をキャンピングカーでしたい」という話が盛り上がって、家族会議で「父ちゃんとママが世界一周したいという感じなんですけど、君たちはどうですか?」と聞いたら、息子は「小学校行きたかったかな~、でも旅かな」。娘は「家族で行くなら行く」ということで、家族で世界一周することに決まりました。
兄は小学校に入る前だったので、小学校に電話して「世界一周するので、学校行けないんですけど」と言ったら、「困りますね」と言われたので、「分かりました。では入学式から不登校っていうのは、どうでしょうか?」と言ったら、「それしかないですね」ということで、学校に通わずに一緒に旅をしました。面白い大人にいっぱい会わせようと思っていたので、子どもたちを友達のところで、1週間2週間暮らさせたり、色んなところに連れていきました。
子どもは必要だと思ったら本気でやる
今村:日本の制度的には不登校というものがあります。学校に行けなくて不登校になる人もいますが、積極的に行かない選択をするのも不登校。最近は法律が色々変わって、積極的に不登校を選ぶという選択肢も認めていこうという流れにあります。うちの子の場合は、学校教育法1条の規定に沿った学校ではなくて、学校と認められていない「フリースクール」に行っているので、不登校という扱いになっています。その場合は、公立の学校に不登校扱いの届け出をして、ちゃんと学習をしていると届け出をすることで、積極的に不登校と認めてもらえるように今はなっています。でも、歩さん家族がその選択をされたのは、今よりずっと前なので、最先端不登校をされていたというわけですよね。
岩本:多くの保護者さんや教員からすると、そんなことして大丈夫なの?我慢できない子になるんじゃないの?社会で生きていけない、仕事なんてできない人になっちゃうんじゃないの?と心配をする方も多いと思うのですが、実際のところはどうなんでしょうか?
高橋:子どもが小さい時から「好きなことを思いっきり極めろ」「困っている人がいたら助けよう」という2つを言っていました。息子はバスケットボールが好きになって、アメリカに残ってバスケをしてもよかったのですが、「スラムダンク」と「黒子のバスケ」を読んで「父ちゃん大事な話がある。アメリカでバスケやろうと思ってたけど、学園生活が送りたくなったから、1人で日本の高校に行きたい」と言い出しました。
高校に問い合わせると、「中学の卒業資格をもってきてください」と言われたのですが、アメリカでも学校には行かずに、バスケ部だけ行ってたので、日本の中学校に「卒業の資格を取りたいんですけど、卒業式だけいけばいいですか?」と聞くと「それは困りますね。内申もあるので、中学3年の1年間だけ学校に通ってください」と言われたので、ではそれでお願いします、ということで、兄は日本で1人で暮らして中学3年生の1年間を通いました。今仙台にあるバスケの有名校に入って頑張ってバスケットボールをしています。
中3の初日、始業式に行って帰ってきたときに、「どうだった?」と聞くと「父ちゃん、すげえ面白いことあった。父ちゃん”前ならえ”って知ってる?”前ならえ”して、その後”小さく前ならえ”をするんだけど、俺あれ集団ギャグだと思って笑ったら、誰も笑ってなくて...」と話していて、最初はそんな感覚で学校に入っていましたが、「高校でバスケットがやりたい」という目的のために中学に行ってるから、必要な成績もこれより低かったら行けないっていうルールだけ確認して、自分の目的のためにしっかり1人で朝起きてちゃんとやっていましたね。
今村:小学1年生から、学習指導要項があって、それに沿って教科書を使って学んでいくのですが、それを9年分やってないということですよね。勉強はどうしていたんですか?
高橋:読み書き、計算だけは人生のために教えておかないとと思って、旅をしながら、漢字ドリルと計算ドリルは持っていって、1日1ページとルールを決めてやらせていたのですが、途中からやらなくなってしまいました。理由を聞くと、「父ちゃん、昔から納得できないことは、やらなくていいって言ってたじゃん。俺、漢字ドリルとか計算ドリルとか何でやるか納得できないんだけど」と言われて、「そうでした、すみませんでした」となって無理やりやらせるのはなくなりました。
でも、友達に1+1も分からないなんてダサいとか言われたんですかね。急に息子が来て「1+1とか分かんないのやばいみたいだから、俺勉強するわ」って言って、公文に行って勉強をしていました。それから「世の中の子どもたちが学ぶ計算はみんな終わったから、父ちゃん公文やめる」って言って、やめましたね。妻も最初は心配していたようですが、本人たちが必要だって思ったら本気でやるっていうのを1回見て、この子たちは自分に必要だと思ったらしっかりやるんだなっていうのが分かったから、無理やりやらせることはありませんでした。漢字を書くのは当分できなかったけど、読みは漫画をいっぱい読んでたので、大人並みに漢字は読めていましたね。
納得いってることしかやってないから、グレようがない。やらされたり、納得いかないことをやらされたり、違うと思ってるのに「あなたのために」って言われたことに対して反発するのがグレるってこと。それがないから、自分がやりたいと思ったことだけ、やっていますね。
娘の場合は、猫好きが溢れて、”猫検定”というのを見つけてきて、検定に受かるには文字を書いたり、計算ができないといけなくて、検定に受かりたいからとお兄ちゃんと一緒に公文に行っていました。娘は猫と料理が好きで将来は、NPOとかで活躍したいなと言っています。
倫理や道徳環境問題といった意味だと、世界中で素晴らしい大自然に触れてるから、自然に、「これを無くしちゃいけないよね」と思っていますよね。この自然を素晴らしいっていうのを知ってれば知ってる人ほど、勝手に守ろうとする。環境問題という切り口なら、ハイレベルな動きをしていると思います。
今村:今年NPOつくって20年。最初の13年くらい子どもがいなかったから、いかに何も分かっていかなったかってことを痛感しています。なんで親になると、「こういう親にはなるまい」と思っていた親になっていってるんだろう?と。子どもはフリースクールに通っているので、標準のカリキュラムではなく、探究的な内容が多くて、漢字や計算は概念だけ覚えれば後で良いということみたいなのですが、不安になってきて、ついついドリルとか買ってきてしまう自分がいます。「納得はしてなくても、やっておいたほうがいいことってあるじゃん!」って思っちゃうところもあって、なかなか歩さんみたいに、そこまで振り切れない部分があります。
今村:歩さんは、これからまた子育てをするとなっても、同じように旅をして、育てると思いますか?
高橋:子どもが生まれる前は、子どもが元々もってるものが2~3割で、教育のし方が7~8割みたいなイメージを持っていました。でも、子育てをしてきて思うのは、9割くらい元々もって生まれていて、1割くらいがまわりの人の役割ということです。だから、子どもが生まれてきて、その子と過ごしていく中で、自分がどういう役割をすればいいかっていうのを考える。だから、そいつ次第。今からどういう風に育てるっていうのは決められないですね。
五感を通じた学び
岩本:頭でこうするべき、こうしてはいけないというのは、学校でも学ぶけど、知っててもそのとおりに動くことってなかなか出来ない部分ってあると思います。でも、自然の素晴らしさを体験したり、旅の中で本当に目の前で苦しんでる人を見たり、五感で感じてしまったときに体が嘘つかないですよね。「これ何かおかしいでしょ。この世の中もっとよくなるはずなのに、なんでこんなことになってるんだ。」というのが芽生えたときに、その後のほうが道徳的に生きてるというのを、自分の経験を通しても感じます。
そういう部分って、学校の知識だけで学ばなくても、五感で感じる中で結果的に育まれるものがあると思います。地域みらい留学を見ていてもそう。人の優しさを受けるから、「人に優しく」「地域のために」と言われなくても、「これだけもらったら恩返ししたい」と、感謝の念が湧いてくる。恩返し、感謝を ”しなければ” ではなく、”したい”と湧いてくる。
今村:日本の教育は、完成度が高いカリキュラムになっていると思います。10年に1回、学習指導要項が改定され続けて、毎回教える内容がちょっとずつ増えてる。だから、内容的には世界一の知識量を学べるようになっていると思います。でも、本物にあう余白がない。地域みらい留学という考え方がすごく良いと思ったには、その「余白」があることだったんですよね。
悠さんに会った2013年頃、私は被災地の大槌町で生活をしていました。そこで生活している中で、その地域の高校生が、カタリバで出会ってきた都会の子たちと違う視点をもっていると感じたんです。「隣のじいちゃんが、毎日仮設住宅の前で口あけて上をずっと見てるんだけど、大丈夫かな?」と話す高校生がいたり、大槌町に住んでいた星が好きな女の子が東京に行った時に、東京の空を見上げて「被災地だから支援される側と思ってたけど、東京の人にもできることがあった!」を目をキラキラ輝かせて、「ここには星が見えないけど、大槌町は街灯がないから星がめっちゃ見えるんですよ。だから私が星のガイドをするっていうボランティアをすることにします。」と話をしてくれたりしました。
それ以外にも、「人に対して心を痛める観点のリアリティ、自然と一緒に生きている発展は学力って言わないんだっけ?」と感じる経験が山ほどあって、こういうのを「学力」って言える社会にしたいと思い、当時海士町で活動していた悠さんに会いに行って、一緒に活動を始めました。
岩本:”五感で感じるリアリティ” ”心の底から感じる経験”は、地域における教育力の1つだと思っています。その中から、今後あと2つ新しい教育力が出てくると思っています。
1つはオンライン。場所の制約を受けずに、色々な学習ができるオンラインでの教育環境は、この次の20年で伸びてくると思います。オンラインの教育は、知的な情報や頭脳的な部分の学力はカバーできると思いますが、腹で感じる、心の底から魂が震えるような感覚を得るというのは、オンラインでは難しいと思います。
だからこそ、より一層求められるのが、越境力だと思います。自分がこれまで暮らして来た地域しか知らなかったところから、越境していくことで、それぞれの地域の多様な個性に出会う、というのがこれから生まれてくるもう1つの教育力だと思います。
ワールドフレンドシップ
高橋:学校に馴染めなくて、「僕なんて生まれてこなかったほうがよかった」と言う子に会ったことがあります。大人だったら、例えばアルバイトが合わなくても、やめたで済む話ですが、子どもの場合、その学校が合わない人なんているに決まってるのに、それで傷ついてしまっているのはまずい、と思いました。旅の途中、インドの路上を歩いても、誰も自分を知りません。全く関係ない1人の人間の世界をつくっていけばいい。だから、子どものうちに、いろんな場所で過ごして、そこで友達つくる、地域の人と交流する経験ができたらいいと思っています。
岩本:学校で馴染めないと、自分の世界が終わっちゃうみたいなのって、見ていて割と多い感覚だと思います。それって学校が自分の世界のほぼ全てになってしまっていて、自分の9割くらいが学校だと思いこんでしまっているからだと思います。学校と家の往復しかしてこなかったら、そうなってしまう。でも、それはたまたまその学校が合わなかったという話で、社会の広さやこの世界の中の1ヶ所だけでの話。それが全てでも何でもない。世界にはどれだけ多様な機会と環境があるかというのを垣間見る、という意味で学校の枠を飛び越えて、更に広い世界へ飛び出して行く子たちが増えたらいいなと思います。
今村:高橋さん、ジャマイカ、マチュピチュ、ニューヨーク、サハラ砂漠など色んな所でお店をされていて、それをベースに教室にして子どもたちがいろいろいけたらいいなという構想されているんですよね。
高橋:ワールドフレンドシップ、世界中の子どもが友達になって助け合いながら素敵な地球をつくっていこうというのが大きなモチベーションです。カタリバともオンラインで一緒にやっていましたが、国の名前だけ聞いてもよく分からないような所でも、何回か交流して、友達になった子がいる国のことは急に身近になる。友達がいる国には、大人になって爆弾落としたくないなと思うし、その友達がお腹を空かしているならカロリーメートくらい送ろうかなと思う。国と国じゃなくて、人と人でつながっておけば、大人になったときに、「友達だから」って言葉でいろんな問題を解決して、互いを思いやれるというのが、旅で胸に染みています。
いきなり「世界平和」って言ってもわけわかんないけど、「世界の子どもが友達になって、世界平和にしていく」っていうのは、以外と本気で実感があって。「世界の子どもが友達に ー World Friendship」という形で広げていくと、「それなら協力するよ」って言ってくれる人も出てきています。なので、いろんな応援とかももらいながら、どんな環境にいる子でも参加できるようにしたいと思っています。
「自分で決める」自分の人生を、自分の足で歩く感覚
今村:ここでいくつか質問があります。
Q 中3の息子、末っ子をついつい甘やかしてしまうので、自立心が育てたくて島留学を勧めています。コミュニケーション能力のある息子です。こんな感じで、島留学を勧めてもいいのでしょうか?
岩本:勧めるのは良いと思いますよ。でも、地域みらい留学を見てきて大切だと思うのは、「最後は自分で決めた」という状態だと思います。行った先で辛いこと、思い通りにならないこと、こんなはずじゃなかったと思うことは絶対あります。でも、「自分が決めた」っていう感覚、覚悟が本人になくて、人に言われたからとか、親に言われたからという状態で越境していくと、他責で逃げるという風になってしまって本人にとっても、あまり良くないと思います。きっかけとして、子どもに勧めるのはいいと思いますが、留学した先でいい目を見るのも、悪い目を見るのも、お父さんお母さんじゃなくて、なので、最後に決めるのは本人であること。本人が自分の人生を自分で決めて、自分の足で歩いているという感覚をもつことが大切だと思います。
Q 子どもたちに我慢や忍耐は大事だと思いますか?
高橋:子どもたちが小さい時から、私も「自分が決めた」ということを、かなりしつこく確認していました。「本当にやりたいんだよな?」って。そうすると良い意味で逃げ場がないから、向かっていくしかない。自分で決めたことだから、人のせいにしようがない。
後から聞いた話ですが、日本の高校でバスケ部に入ったとき、息子は小さいし、中学の実績があるわけでもなく、友達もいないから、「お前なんでここにいるの?」みたいな感じだったそうなんです。「でも、自分で決めてやらせてもらったことだから、父ちゃんに愚痴を言ったらカッコ悪いと思ったから、1人で耐えたよ。今、まあまあ良い感じになったから、やっと言えてる」って話していました。
「自分で決めたことだから」って言葉が、真ん中にあるんだと思います。忍耐とか耐えるとかも、子どもが自分で決めたことに対しては「それはやれよ。自分で決めたのに、何もストレートにいくわけはないだろう」と言う。子どもたちが、自分で決めてうまくいかなくて我慢したり、耐えたりっていうのは必要なのではないかと思います。
でも、訳の分からない、理由も無く大人が被せたことを我慢させる必要はない。「この子のため」って言葉は ”超デンジャラスワード”と思っていて、親が勝手にセットして、耐えさせたり、我慢させるってことは必要ないと思います。
おわりに
岩本:高橋さんのお母さんの話を聞いて、これだ!と思いました。こうしろという形ではなく、問いを投げかけること。指示・命令ではなくて、問いから、子どもたちが自分で考えていく、気づいていくということが大事だと思いました。高橋さんが最後に話していた、「自分で決める」という話を聞いていてなるほどと思ったのが、自由って自らに由るって書くんだなと。それって、他者との関係性の中であっても、最後はどこかで自分でちゃんと決めていく、自分で自分の人生を生きていく、自分に由ってちゃんと在るということが、自由の本筋だと思いました。自由は、「楽で楽しいぜい!」みたいなものだと思っていたけれど、根本は自分で決めていくというところとつながっていると気付かされました。
高橋:家族で世界一周をするというのは、誰でもできることではないでしょうと言われることがありますが、今日話をしてみて岩本さんと似ているところがあると思いましたし、「地域みらい留学」が目指しているとこも、一緒だと感じました。地域みらい留学だと「親元を離れて」ってところが加わるからいいと思います。子どもに久しぶりに会って良い感じになってると、寂しさ半分、嬉しさ半分ですが、高校生の息子の方は離れてから人としてすごく成長している感じがあります。ぜひ、今度地域みらい留学の現場を見に行かせて!楽しそう!と思いました。
※ 本記事は、2020年8月9日の地域みらい留学LIVE「世界中を家族で旅した自由人と語る”学校”と”子育て”の未来」のイベントレポートです。
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