「AI時代に五感を磨く教育の可能性」開催レポート
原田:生まれも育ちも埼玉県です。人生で2度留学を経験しました。1回目は、高校時代にアメリカへ1年間の海外留学、2回目は、島根県隠岐の島への親子島留学です。
原田:コンサル会社を経て1999年に英治出版を創業。創業20周年にあたる年に、家族で島に住もうと決意し、2018年3月~2019年8月の1年半、島根県の海士町に親子3人で島留学をしました。
子育てから見る島留学
原田:次男が5年生にな年に、妻と次男と一緒に3人で親子島留学をしました。海士町への留学は直感的に決めましたが、子育ての観点で見た時に、「どういう教育をしたら子どもたちの可能性を広げるきっかけになるんだろう?」と考えたのも島留学を決めた理由です。
原田:海士町に一緒に行った次男は、2030~2070年に社会で活躍する人材となっていきますが、その時代にどういった資質、能力が必要か分かりません。分かっていることは、人口減少が急激な局面に入る、AI✕ビッグデータ、テクノロジー、バイオが発展する時代になるということ。この時代に生きる子どもたちの親として、どうしたら子どもたちの可能性を広げることができるかと考えたときに、島留学で経験できる「エッジの聞いた経験」をすること、みんなが向かっている方向に行くのではなくて、自分ならではの経験があることが重要だと思いました。
また、島留学をしている1年で色々なことを経験して、学校で教わる知識だけでなく、身体感覚がある言葉が喋れるようになったらいいと思いました。感性を磨き、肌感覚がある言葉を養うこと、ヒューマンタッチ、心の奥底まで届く経験をすることが大事だと思ったからです。
島留学をするきっかけとなった出来事があります。島留学に行く前に海士町の海遊び体験ツアーに参加したとき、息子が船で足を切ってしまいました。そしたら島の兄貴が浜に泳いで行ってバンドエード、救急用具をジップロックに入れてくわえて泳いできてくれたんです。息子は危機が起きたときに助けてくれた島の兄貴の優しさに触れたのが印象的だったようで、夏休みの宿題でそのエピソードを書いていました。体験ツアーをして、島留学をするかしないかという話になったときに、息子が「お父さん、お母さんが行かなくても、俺は行くよ」と言って、島留学に行くことを決めました。
原田:地域みらい留学をして気づいたことは、地域は社会の縮図になっているということです。海士町は2300人の小さなまちですが、その島まるごと全部が学びの場。息子は海士町の海士小学校に留学したわけではなく、海士町という島まるごと学びの場としてそこに留学していました。
島で起こることは繋がっていきます。例えば、船が欠航したら牛乳がなくなるというように、社会全体がつながっているから、社会全体が見やすいのが「地域みらい留学」の魅力だと思います。虫の目、鳥の目、魚の目という言葉がありますが、社会の縮図が見やすい ”島” は「鳥の目」を鍛えるのに非常にいい場所だったと思います。
原田:地域留学の良いところは分かりやすい成果がないところだと思います。長男はメキシコに留学したのでスペイン語が上達しました。語学は分かりやすいお土産、スキルです。でも、地域に行っても、”これぞ” というのものが言いづらい。海士町の島前高校には県外から留学してきている生徒も多くいるのですが、彼らからは「地域に行ったからには、何かを獲得しよう」という強い動機、高いモチベーションが感じられました。語学習得のように、分かりやすい成果が見られないからこそ、何かをしようといういう意識、行動力が高いと感じました。
1年半という短期留学の良さは、地域留学を終えて元いた学校に戻るということです。息子の場合、地域にいるときは埼玉、都会から来た子として代表性を帯びる。そして、埼玉に戻ってきて海士町がテレビに出ると、近所の友達からLINEが来たりと海士町の代表性を得る。地域や元いたコミュニティに非常に大きな影響を与えられるのが良いポイントだと思います。
テクノロジー業界にいた一母親である私が教育に入った理由
竹村:元々20年くらいはテクノロジー業界で新しいサービスを開発、事業提携、商品を世の中に出すということをしていました。ビジネスの資本主義のど真ん中にいた私ですが、5年前くらいから教育に携わり <Most Likely to Succeed>という映画の上映会活動、ミネルバ大学という地域を旅する大学とサマープログラムを行ったり、経済産業省の実証事業としてプロジェクト型学習を先生方と一緒に学ぶ活動をしたり、”Learn by Creation ~創るから学ぶ~” というテーマの祭典をしたりしています。
私が教育に関わるきっかけになったのは、2人の子どもの存在でした。当時小学生、幼稚園児だったのですが、上の子どもを通じて、個性、自分の意見がはっきりしている子だけど、もう少し彼の個性が尊重される学びの場はないのか?と感じたこと、また「教科を組み合わせたほうが楽しいんじゃないか?」という子どもの問題定義があり、どうやったらもう少し楽しい学び、意味深い学びの場があるのか?という疑問から教育の世界へ行きました。
竹村:演算処理能力は急激にアップし、2040年には10万円で全人類の能に匹敵するくらいの演算能力を全人間が手に入れられる時代がくるかもしれないと言われています。今はインターネット→携帯→スマホ→AIとテクノロジーの発展がスピードアップしている状況です。そういった中でどういう学びがあるべきなのか?日本だけでなく海外も含めた先進事例を探究したいと思って活動しています。
地域にある「深い学び」の可能性
竹村:<Most Likely to Succeed>という作品は、従来型の教育が持つ課題を明らかにするドキュメンタリー作品です。正解を提案するわけではありませんが、これからのテクノロジー社会における学びの方向性を示唆するものになっています。正解を与える映画ではないので、この材料を見て皆さんが話し合って我々の環境に合った学びとはどうなのか?と一緒に考える活動を全国で行っています。
竹村:映画の背景は公立のアメリカの学校。そこの学校で行われている、Hands, Heart, Mind(手と頭と心)と呼ばれる、体全体を使って ”体験から学んでいく” 構成主義アプローチでは、子どもたちが自ら選択をして「深い学び」をしていきます。
竹村:構築主義の父と言われている、MITのシーモア・パパート氏は、レゴが動く”マインドストーム” が教育業界で使われていたりと、テクノロジー教育の文脈で有名な方です。パパート氏は、地域での学びにつながることを話しています。
教科書で学びが整ってしまっている環境からだと、子どもが発見する喜びを得るチャンスがないのが現代教育の問題点ということを示唆しています。先生の役割が正しい知識を教えることだけではなくて、子どもたちが自ら発見して自分の学びにしていく環境を整えることだと話しています。
竹村:また、プログラム教育で有名な ”Scratch” の生みの親、ミッチ・レズニック氏は、2018年に <ライフロング・キンダーガーデン>という本を出しています。その中で、子どもたちが自ら知識を見出して発見して長期記憶につながる学習活動をするためには ”4つのP” が必要と話しています。
4つのPは、Project, Passion, Pear, Play。環境 (Project)が整っていて、情熱 (Passion)をもって仲間 (Peer)と一緒に、目的をもったことに取り組む (Play)と子どもは自然に学びの螺旋階段を登っていくと話しています。
都会の子どもたちの典型的な例として、「たくさんの経験はもっているけど、自己表現することは少ない」ということが言えると思います。座学という知識のインプットをもらって、正しくアウトプットする経験の中には自己表現のチャンスは少ない。「読めるけど書けない」という時間の比重が都会の子どもは多いと感じます。
竹村:これは <Most Likely Succeed>で、映画の舞台となったハイテク・ハイ(High Tech High)の教員研修で使われている図です。子どもたちの深い学び、真正な学び (Authentic Learning)の瞬間が起きるためにはどういう条件が必要か?を表しています。
先生の指示だけで発表して、ミニテストをして100点をもらったものは、そのままゴミ箱行きになって終わりです。でも、地域の方、専門家の方から直接フィードバックをもらうことで、モチベーションと加入度が全然違ってくる。真正な(Authentic)な学びができる三角形の ”上側” の学びと、基礎学力という ”下側” の学びを ”両輪で” 回していく必要があると言っています。
子どもが主体的に学びたくなる環境は、従来型の教室にいることなのか?それとも、自然という可変要素の大きい中で子どもが自ら馬に乗る、野菜を育てる、遊具をつくる、木漏れ日の中で振り返りをするといった学びの環境なのか?どちらの環境のほうが、主体性を育んで自らの感覚を研ぎ澄ませ、色々な学びにつなげていけるのか?がこれから考えていくポイントです。そして、これらのポイントこそが「地域みらい留学」の魅力に繋がるポイントだと思います。
竹村:子ども自ら学びを体得していく「深い学び」につなげるためには、
というのがポイントです。その ”3つの条件” が揃っているのが、地域留学の魅力の大きなポイントではないかと思います。
「探究型の学び」の実現
大田:先程、「地域みらい留学の魅力は深い学びの3つの条件が揃っていること」とおっしゃっていましたが、地方の公立高校には本当にそういう環境があるのでしょうか?心と体、五感、探究していく環境が公立高校で実現するということについて考えていることはありますか?
竹村:<Most Likely Succeed> がすごく良いと思ってボランティアとして上映活動を始めた大きな理由は、舞台の学校が公立の学校であることです。チャータースクールという特殊な枠組みの中で生まれた公立で、予算・財政的には一般の公立より低予算で運営しています。こういった学びの環境を整えることが公立高校では難しいとされる理由を考えると、①財政面 ②人材面 ③環境・インフラ面があると思いますが、ハイテク・ハイは、企業からの支援を受けて建物は立てていますが、それ以外のコストは一般の公立より低予算で運営しています。
日本で実現することを考えた場合、枠組みとなる校舎は廃校になった学校の校舎を利用すればできる気がしますし、財政(①)、インフラ面(③)で日本で実現できない理由はないと思います。なので人材(②)という部分が今1番ネックになっているところだと思います。
日本の学校の先生はすごく優秀で、子どものこともすごく思っていらっしゃると思います。国際的にはすごく低予算の中で、PISA(OECD生徒の学習到達度調査)のコアに入っています。従来型の教育という意味ですごく頑張っていらっしゃると思いまが、どうしても教育は日本の縦社会をそのまま引きずっているところがかなりあり、今まで上手くいっていた先輩から学んでいくというやり方が多くあると思います。そうすると、今までの枠組みを外れて”新しい探究型の学び” を試せる場合と試せない場合があると思います。
個人レベルだとやる気があって、「探究的な学び」をやっていきたいという先生は全国に多くいらっしゃると思いますが、絶対数が全体の中でまだ少ない中で、どうやって教員の方が学ぶチャンスを後押ししてあげるかは、働き方改革で仕事の時間を減らして「学び続けられる時間と余裕」を与えることなどが大切になってくると思います。また、教育委員会、学校長が後押しがあると違ってくると思います。例えば、長野県では積極的に探究型の学びを取り入れる動きがあり、ハイテック・ハイに先生たちが研修に来られたりと活動的です。少しずつ芽が出てきているところはあると思うので、制度の後押しがあると変わってくるのではないかと思います。
原田:「地域みらい留学」参画校の多くは公設塾が併設されています。私が親子留学をした海士町の島前高校の場合、公営塾では学力面のサポートの他に「夢ゼミ」といって、感性、自分の内面を掘り下げるようなサポートがありました。そういった点を見ていて、高校と公設塾が、補完しあって地域みらい留学での生徒の学びをサポートしていると感じました。
無目的な学び、目的ある学び
大田:目的と表裏一体なのは、評価。目的があって、それを出来たかどうか?という評価があると思いますが、ハイテック・ハイなどでは、目的、評価はどうなっているのでしょうか?今まで見てきて分かってきたこと、課題など考えていることがあれば教えてください。
竹村:無目的な学びがいいのか?目的ある学びがいいのか?というときに、”どちらもあり” だと思います。複雑なものを複雑なまま受け止めて、結果的に旅の中に発見がある(無目的な学び)というのは、旅や新しいところで学ぶ魅力だと思います。かたや他人軸ではない、自分で目的を設定したものに対する学び(目的ある学び)もとても大切だと思います。両方できるのが理想的だと思います。
学習教科に組み込まれたものはなくても、例えば隣のお年寄りのご家庭のために杖をつくってあげるといったように、「自分が設定した目的なのか」どうかというのがモチベーションへの違いだと思います。ハイテク・ハイでは、先生が大枠のプロジェクトを設定していますが、そこに選択する余地であったり、自分の意見を入れることで、自分の目的に近づけていくという余白があります。
探究学習には、課題発見のところから自分でやっていくというマイプロジェクトのようなアプローチもありますが、学校教育の中でそれを全員にやるのはハードルが高いと思います。でも、生徒自身が目的を見いだせる学びを設計していくことで、結果的に先生からの一方的な評価だけじゃない、自己評価ができるようになったり、仲間のなかで評価できるようになったりすると思います。進学のための評価ではない、「自分の成長のための評価」は学びの大切な要素だと思います。そういったものを今後進学につなげていくには、子どもたちの真正な学びをどうやって可視化して、なおかつ大学側にとって可能な形で提出するか?が重要です。そこにまだ正解はないと思いますが、探究していくべきジャンルだと思います。
地域で学ぶ魅力
大田:地域全体が学びのチャンスであり、学校教育の中だけでなく、外に出て地域の人、年が違う人、自然と触れ合うことで得られる学びの可能性についてのお話が聞きたいです。海士町での親子島留学を経験されてみて、テストで記憶を試すという頭脳的なものだけでなくて、心や体を使って地域全体で学ぶことへの可能性や魅力は感じましたか?
原田:学校内での学びより、近所のおばちゃんとの交流だったり、毎日毎日の日々の生活のほうが学びが深いと思います。海士町では、おすそ分けが盛んに行われます。時には誰だか分からずに軒先に置いてあることもあります。おすそ分けをするときに、海士町の人は1番良いものからあげる文化があります。サザエや魚が採れたときに、大きいもの、形がいいものからおすそ分けをする。「いいものから人にあげよう」というのを当たり前にやっていくのを子どもたちも見ていて、そういった交流から体感する学びが大きかったと思います。
大田:地域がまるごと学びの環境になっていて、年が違う来たちと学ぶことにはどういう可能性があるのでしょうか?
竹村:学び合いの質があがっていくと思います。レッジョ・エミリアというイタリアの小さな町では、世界から見学にくる探究型の幼児教育をしています。そこの幼稚園生は4~5歳でも近所の靴屋さんの新しい看板をつくってあげたり、広場の意味にはどういう意味があって、広場をみんながもっと気持ちよく使えるようにするにはどうしたらいいだろう?と地域のお年寄り、若者の話を聞いてみたり、ということを行っています。
日本の場合は日本人が主な人種であるため、多様性がなかなか起きにくい環境にあります。同質な学校で、同学年との関わりだけだと多様性が限られていきますが、地域に学びが開いていくことによって、年齢や職業などいろいろな視点をもった人が学びのプロセスに関わっていきます。単一国家といっても地域の中には多様な視点があるので、そういった多様性の中で子どもが学んでいくのは大切なことだと思います。
AI社会でパターン化されていくものはどんどん自動化されていった時に残っていくものは何なのか?という議論で、Compassion (思いやり)とCreativity (創造性)ではないかという話があります。では、Compassion, Creativityをどうやって育むか?と考えてみた時に、それは経験、体験を通じて育んでいくものなのではないかと思います。狭い地域の中だからこそ、人と人との関係の中で見えてくる良い部分もあれば、課題もある。だからこそ、より共に課題によりそって解決していく力が鍛えられていくのではないかと思います。
Compassionは元々人がもっている、「自分や相手を深く理解して、役に立ちたいという思い」です。特に現代社会ではしんどい状況が来ると避けようとして、LINEで会社をやめると伝えたり、難しいことを人にお願いするビジネスが大きくなっています。そういった難しい状況を避けずに、自分が大変だけども、その大変な状況と共に在る力を磨いていくのは経験の積み重ねです。勉強が良くできて、いつもテスト100点でしんどい状況を経験せずにそのまま大人になってしまうのは、これからの時代リスクなのではないかと思います。いつ、どういった大変な状況が身の回りに起こるかというのは、誰も予想がつかない時代です。だからこそ、色々なしんどい状況とも共に在れる力は大切だと思います。
大田:ご自身の変化の話を聞きたいです。島での経験を振り返って、気づいたことなどはありますか?
原田:自分自身が変わったかは分かりませんが、発見したことがいくつかあります。海士町では小学校の運動会の時、人数が少ないので保護者も何種目も競技に出ます。種目の1つに椅子取りゲームがありました。はじめは普通にしていたのですが、最後の3人になって1個の椅子を競う決勝戦になった時、音楽が止まっても誰も座らないんです。音楽が鳴り始めて、やじが飛び始めて、どうぞどうぞと譲りながら誰も座らない。でも2回目には仕方なく誰かが座って優勝者が決まったのを見て「何なの?」と思いました。リレーでも1チームが遅れても先行してるチームが後ろ見ながら走る。でも、最後のアンカーではすごく競い合ってる。それを見て、この島の人たちって、人を打ち負かす勝ちが嫌いなんだなと思いました。離島という地域的なものもあったのかもしれないが、勝つこと、勝利することを考えるとき、生き残ることが勝ちだったんじゃないかと思います。
隠岐には隠岐相撲という相撲があり、1番目は真剣勝負をしますが、2番目は何らかの理由をつけて勝った方が負けて必ず一勝一敗にします。相手を打ち負かして勝つことが勝利ではなく、生き残る、共存共栄が勝ちという概念なのかなと思って、自分たちも企業経営して、戦略、差別化といっていたけど、そうではない勝ちがあるというのが1つ学んだことです。
大人と子どもが共に学ぶ
竹村:「大人が変わると子どもが変わるチャンスが増える」というのは、色々な学校現場などで感じています。大人が学び続けている姿は、子どもから見ても素敵な姿だと思います。また、大人が学び続けることで大人と子どもがよりフラットな立場になり、大人だけが正解をもっているのではなくて、子どもと一緒に考えるということもたくさんあるということに、子どもも気づくことができます。そうすると新たな枠組みでの発想が出てきて、共に引き上がっていくのではないかと思います。
竹村:「地域みらい留学フェスタ」を今年はオンラインで開催しています。オンラインのトークセッションで、地域みらい留学を経験されたお母さんと娘さんがお互いの3年間の経験を話す企画がありました。娘さん自身は、「あんまり変わっていない」と言っていて、変化というよりは元々あった良さが発揮されたという感じだった反面、お母さんが「私すごく変わりました」と話していてすごく素敵でした。
色々な国で教育について公演している人が、いつも必ずする質問があって、「実は 自分の子どもにはすごい隠れた才能があるんだけど、それがまだ発揮されていないと思う人」ときいて手を上げてもらったら、日本はシャイなのか手があがらない。でも、海外だと結構手があがって、 インドだと両手みんなあげているという話を聞きたことがあります。教育というとどうしても子どもにフォーカスが当たりがちですが、実は親が変わっていくという部分も大きいのではないかと思いました。
Q & A
Q 私は島留学賛成派ですが、島留学のデメリット・課題はありますか?
原田:先程無目的という表現を使いましたが、目的を意識しすぎて留学すると感性が広がりづらいと思います。もっと得られるもの、発見できるものがあるのに、その可能性が減ってしまうような気がします。受験で〇〇大学に進学したい、というのが目的化しすぎてしまっている人にとっては、島留学では塾のようなサポートが受けられないという点がデメリットとしてあるかもしれませんが、100年時代のうちの人生の1~3年の年代をどう過ごすかといったときに、あまりその点をデメリットと考えないほうがいいのではないかという気がします。
竹村:海外だとギャップイヤーという考え方があって、大学と高校の間に1年休んで世界を旅する若者が結構います。それがちょっと早めに訪れると考えると、自分を知る機会として普段住み慣れている環境ではないところに住む「地域みらい留学」という経験はすごく効果があると思います。中高6年、高校3年間という期間をトータルで捉えたときに、それぞれのステージでどういったことを学んでいくのかと考えていくと、1年間違う環境で学ぶことも素敵な体験だと思います。
大田:日本ってまだ学齢、何年生では何を勉強しないといけないというのが強いですよね。そこがもう少し柔軟になって、例えば算数はすごく先をやっているのだけでも、社会はゆっくり進めるとか、算数の中でも色んな分野があるので、それぞれ進め方を変えるといったように、柔軟になったらいいのかなと思います。それがカチッとしていると遅れてる、進んでいるという話になってくるのだと思います。
竹村:私の子どもは小学校高学年からモンテッソーリ教育の学校に転校しています。またイエナプランスクールという学校が長野にもありますが、どちらも異年齢でクラスルーム1つで、学年が分かれていません。算数が早い子は小学生でも中学校の数学セミナーに参加できますし、同じ中学生の中でも中学1年生が3年生の数学を学習するといったこともできます。また、得意、不得意が子どもによって違うからこそ、子どもたちの間で学び合いが生じるので、子どもにはメリットしかありません。
Q 探究と教科の関連性についての質問です。探究と教科を別々のものと捉えなくても、探究の中で教科を学んでいくということも可能なのでしょうか?
竹村:ハイテク・ハイだと、探究と教科を同時に学ぶというコンセプトなので、プロジェクトの中で学習指導要項の項目のどの部分をカバーして、どの教科の授業をするのかというのは先生が決めています。そのため、プロジェクトの間に授業もあります。プロジェクトだから基礎学習の授業がないということはなくて、組み立ての順番が違うだけの話です。
原田: 地域は探究しやすいと思いました。誰が何を知っている、誰が何ができるというのがすごく分かりやすいので、何かをしたいと思ったら「あの人のところへ行って聞いてみたらいい」というのがすぐに分かるので、小さい地域は探究しやすいと思いました。
竹村:今、オンライン学習の話題がホットですが、オンライン学習の最大 の難しいポイントは学び合いが起こりづらいということです。オンラインでは、計画的な学びや共同の話し合いはできますが、ちょっとあの人に聞くといったようなセレンディピティの学びがものすごく難しい。それを考えると、地域や小さなコミュニティで何か困ったら気軽にこの人に助けてもらえるという関係性があるというのはすごく恵まれたことだと思います。
Q セレンディピティとは何ですか?
大田:偶然の発見、出逢いのこと。
原田:本来の目的以外の価値在るものを、偶然に発見しちゃうみたいな感じです。
竹村:道草みたいな感じです。例えばクリエーターは、通勤途中でもちょっとした道草、観察をすることで、私たちが気づかないすごく面白いものを発見する経験をしています。なので、偶発性みたいなものが生まれやすい環境に身をおけるというのはすごく良いことです。
おわりに
大田:最後に、今日のテーマが「AI時代に五感を磨く教育の可能性」ということで、何故「五感・自然・人と人」なのかということについて、考えていらっしゃることを教えてください。
竹村:「役に立ちたい」みたいな気持ちって、人と人との関係性の中から出てくるものだと思います。でも、AI、SNS、情報社会では、人間がデータで取り扱われやすところがあります。でも、人間1人1人がデータの数値ではなくて、生身の人間としての信頼、助け合い、学び合いを大切にする関係性は触れ合いの中からしか生まれないと思います。だからこそ、地域、小さなコミュニティの中で子どもたちが気軽に頼れる存在として、家庭と学校ではない「第3の場所」がいくつかあるといいと思います。また地域社会では自然と触れる機会が多いと思いますが、自然のほうが複雑系です。これからは複雑系の社会なので、複雑なものを複雑なまま受け入れてそれを楽しむという体験は欠かせないと思います。
※ 本記事は、2020年8月9日の地域みらい留学LIVE「AI時代に五感を磨く教育の可能性」のイベントレポートです。
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